2009年 08月 19日
必冊!赤坂 その五の二
「内蔵助が、江戸に到着したのは、元禄十四年十一月三日である。」
(中略 討入は元禄十五年十二月十四日) 「翌四日は一日旅の疲れを休めて、五日から諸方廻りを始めた。まず高輪泉岳寺に詣で、亡き浅野内匠頭の法要をいとなみ、墓参を済ます。その足で赤坂今井台(後世の氷川台)にある三次浅野家下屋敷を訪れ、後室瑤泉院にお目通りを願った。」 「四十七人の刺客」池宮彰一郎著 角川文庫 画像は単行本(新潮社)の表表紙 一般に広く親しまれている「赤穂浪士」の話を本当のところはどうであったのかという視点で書かれた本著は、執筆された時点で知れる限りの史実に基づいた情報から、あらん限り創造性を発揮して書かれた小説である。 本書は、史実に基づいた歴史の解説というより注釈をはさみながら、小説としても読み応え十分。 「忠臣蔵」の話が好きな方ならば是非読んでいただきたい一冊だ。 前回の必冊で紹介した「南部坂の雪別れ」の話と違って、本著では内蔵助が瑤泉院を訪れるという話もこう注釈されている。 「吉良家討ち入りまでに大石内蔵助が瑤泉院を訪れることは二度となかった。それは討入直後、足軽寺坂吉右衛門を脱盟させて関係者に報告を送り、連累の罪咎を避けるよう伝えさせた際、まず真ッ先に瑤泉院に派したことで事前に対面がなかったことが推測できる。」(中略) 「討入直前に内蔵助が<企て>を告げるような書類を渡すという不用意さは、到底考えられない。内蔵助ほど公儀の非常な処置と厳刑を予測したものはいなかった。」 〝楽〟が当著を読んでなるほどと思った記述は他にもいくつもある。 例えば、浅野内匠頭は刃傷の後、何故、「即日」切腹となったのか。 討入の際の強靭な武具甲冑を浪士たちはどのように調達することができたのが、その調達資金はどうやって捻出できたのか。 後世に「赤穂浪士」に関する偽書偽説の氾濫が起きたのはなぜか。 これらの逸話に対する著者の確信に満ちた言説に読み手はうなずくしかない。 蛇足だが、この元禄という時代は五代将軍綱吉の治世で、「生類憐れみの令」や「金銀改鋳」が発布されるなど暴政がまかり通り、世の中は爛熟し文化も旺盛していた。 俳聖松尾芭蕉もこの時代の人である。 先日、手にとった嵐山光三郎著「悪党芭蕉」(新潮文庫)もこの時代の背景がよくわかり、俳句勃興の関連性も窺えておもしろかった。 俳句に興味のある方はこちらも読んでみては。 なお、討入は芭蕉の死後に起こった出来事だが、芭蕉の一番弟子で江戸の人だった宝井其角は赤穂浪士との交流があった。 「必冊!赤坂」もとりあえずここで一区切り。 来週はおまけ編。 もう少しお付き合いを。
by akasaka_hiyoko
| 2009-08-19 23:19
| 赤坂番外編
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