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赤坂ひよこ日記

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必冊!赤坂 その五の一

赤坂に坂が多いことは当ブログのとうきちさんの投稿「赤の坂」でもふれられている。
リンクの張られているサイトには実に23もの坂が紹介されている。
(知っている二丁目の福吉坂は抜けているし、まだ他にもいくつかあるのかもしれない。) 
その数ある赤坂の坂の中でも話にて出てくる舞台として最も有名なのは「南部坂」であろう。
坂の名は盛岡藩南部家の屋敷が坂の近くにあったことから由来している。
赤坂二丁目と六本木二丁目の町境界に位置するこの急な坂は歌舞伎の演目「元禄忠臣蔵」第六編「南部坂雪の別れ」の舞台として名高い。
赤穂浪士討ち入りの前日、いや数時間前の話だ。

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「元禄忠臣蔵」 真山青果著 岩波文庫

やや長くなるが、話はこうである。
大石内蔵助は討ち入りの直前、南部坂上の赤穂浅野家屋敷に蟄居している亡き君主内匠頭の未亡人瑤泉院に会いに行く。
明日未明の討ち入り決行の意を伝え、同士の連判状を渡すとともに、内匠頭の霊前にもそのことを報告するため訪れたのだ。
ところがその場で敵・吉良方の間者の影を察知した内蔵助は、「ある西国の大名に召抱えられることになった。再びお目にかかることもない。東下りの旅日記を持参した。」と、とっさに偽りを伝える。
討ち入りの話を心待ちにしていた瑤泉院は失望し怒りに震え内蔵助をののしる。

しんしんと降り積もっていく雪の南部坂。

瑤泉院の前で真意を伝えられなかった無念の思いと討ち入りへ静かな闘志を心に秘め、雪の中坂を下っていく内蔵助。
内蔵助が帰った後、ほどけた旅日記が連判状であったことを知り自らの短慮を悔いる瑤泉院であった。

少し補足しておくと、南部坂の由来になった南部家の屋敷は後に赤穂藩浅野家の屋敷になった。
そういうわけで「南部坂雪の別れ」の話の舞台となった。
もとの南部家の屋敷は今の有栖川公園の近くに移された。
こちらにも南部坂(南麻布四丁目)がある。
また、赤坂氷川神社にところに瑤泉院の生家、三次浅野家下屋敷あった。

実際は大石内蔵助が討ち入り前日に南部坂の屋敷を訪ねた事実はなく、この話はまったくの創作である。
しかしなんとまあよくできた話。これぞドラマ。
こういった有名な逸話があって「忠臣蔵」の人気は不動のものとなっている。

では、実際の史実に近い「忠臣蔵」の話を描いた小説はあるのか。
来週はそのお勧めの一冊を。

では、また来週。 
by akasaka_hiyoko | 2009-08-12 00:29 | 赤坂番外編